昨年、学内学会で拝読した論文が面白かったので、室生犀星の王朝ものも少し読んでみたいなと思った。時間ができたので、タイトルの短編集を一気読み。以下に簡単な感想を書きなぐる。
「姫たちばな」
『大和物語』147段、生田川の話が下敷きに展開されている。しかし、説話よりも橘姫をめぐる2人の男たちの”命のほとばしり”の方に焦点が当てられていて面白い。連日連夜姫をめぐって一触即発の雰囲気を醸し出していながらも、橘姫親子と出かけた野辺の明るさに心震わせ、束の間酒を酌み交わす二人は本当に良い人物たちとしか言いようがない。犀星得意のさわやかな描写の後、二人は水鳥を相討ちして、そのまま争い、互いを射て死んでしまう。こうなると説話と異なり、女が死ぬのは男二人より後になってくる。そこが非常に面白いところだと思った。
「わたくしは人のいのちを粗末にするような、あさはかな女なりたくはございません。」、橘姫のこの言葉に、犀星の描き続けたうつくしい女の心あり、という感じ。
同じ説話を下敷きにした能の《求塚》では、生前二人のどちらかを選ばなかった罪によって死後地獄で苦しむ女の姿が描かれるが、犀星が描いた橘姫は争う男二人を前に「一人の女として生長」した生き様の見事さが際立っている。
「津の国人」
『伊勢物語』24段、梓弓の話が下敷きに展開されている。主人公が筒井なのは、前段の筒井筒からきているのだろう。(この2段は続き物という認識が成っており、謡曲《井筒》も同様の認識で作られたものとする説有)
物語は、貧乏ながらも心を通わせて暮らしていた津の国の夫婦の家に、夫の士官決定の便りが届くところから始まる。妻も外で働き口を見つけ、二人は同日に家を捨てて発つことに決める。妻・筒井が嫁入りで津の国へやってきた時と同じ渡し舟で、今度は別々に分かれて離れていく二人。別離までの様子は、この話の中で決してページを割いて書かれているわけではないのだが、短い文章の中で筒井の人としての愛情の細やかさがすべての場面にあふれていて、手放すべきでない妻だということは読者の胸にも刻まれる。
別離以降、夫の行方は杳として知れず、ただ筒井の暮らしむきが描かれていく。筒井はその性質から出会う人たちの悲しみを癒し、どこにいてもいなくてはならない人として重宝される。しかし、どのように求められてもその心にはいつも夫の便りを待つ気持ちがあり、それを3年といわず4年貫き通して見せた筒井。その長い年数と逡巡のすべてを犀星はこまやかに描写して読者に訴えかけてくる。それがあってこそ説話とは全く違う、悲しくも美しい結末が訪れるのだ。原典よりずっと好きな終わり方だった。
「玉章」
未亡人となった女性から幼馴染の男にあてた手紙の体裁をとり、死別した夫の、死後さらに明らかとなる細やかな愛情と、それを遂に手紙の宛て主である幼馴染へ伝えることを決めるまでの逡巡が描かれている。亡夫の発言の中で、最後に描写される言葉が秀麗。
「あそこの景色はいまも眼にあるね、景色というものは見たときよりも、思い出すと美しい。」
思い出しながら書いている語り手にとっても、このときのことはさぞ美しい思い出であるのだろうと思われる。
「花桐」
女が身持ちを崩していくときというのはこうやって崩れていくのか…という感じ。ここまでの3編ではすっきりと気持ちの良い、あるいはいじらしいと思える愛情の男たちが出てきたが、花桐に恋する持彦は仕事もまともにやらなくなるほど花桐にぞっこんで、周囲を困らせてしまう。
しかし、「男というものにほだされると、こんなになるものとは思いませなんだ。こんなにも、女の障害まで持ってゆくものだとは、まるでぞんじませんでした。」というように、結局は持彦の愛情を受け入れてぐずぐずになってしまう花桐。対する男も、不誠実かとおもいきや「凝(じっ)と見つめていると恋愛より恐ろしいものはない、これは処刑であると同時にあらゆる人間のくるしみがそこで試されているようなものだ。そとで見ているような生優しいものではない。ここにおよそ苦痛とか快楽とかの種数(かずかず)をかぞえてみたら、ないものは一つもないくらいだ。」と妙に真理を突いたことを言って、ここで読者はこいつも後に引けない沼に嵌ってしまっただけなのだと知ることとなる。
王朝に仮託しているけれどかなり時代に関係ない恋愛のありようを描写しているよねという感じ。
「荻吹く歌」
『大和物語』148段、芦刈説話が下敷きになっている。少し「津の国人」と近いような設定、というかこれも舞台は津の国。とにかくこの短編集は津の国が頻出する。扱っている説話の影響が大きいが、こうまで津の国が続くと、いっそ不思議な感じもする。
零落した暮らしを送る夫婦、兎原の薄男もとい右馬の頭とその妻・生絹(すずし)。ある日、生絹に宮仕えの話が来て、二人は惜しみながらも離れて暮らすことを選ぶ。都にのぼる生絹に、舟で話しかけてくる不思議な占いの男は、この後の生絹が歌の才を生かして宮仕えするだろうと活躍を暗示しながらも、右馬の頭との再会については口を濁す。(それなのに、自分とはまたお目にかかると告げているのが面白い)
都にのぼった生絹は、笛を吹く人が主の家に仕えることになる。その家には荻が茂り、笛の音に合わせて口をついた「一人していかにせましとわびつれはそよとも前の荻ぞ答ふる」の歌は、生絹の心からの歌であるようでありながら、「歌のしらべが、笛の音いろにあらわれていて、その人がこのようなしらべに乗せたのであろうかと思われた。」とまで言わしめる。これが生絹が一人で思いつき、歌うのであれば、この後津の国再訪での右馬の頭との再会は耐えられるものではなかっただろう。このあたりの下敷きの説話からの乖離の仕方が魅力的。
結末はほぼ説話の通りとなるが、「君なくてあしかりけりとおもふにもいとど難波の浦ぞすみうき」の歌の方なんだ…という感じ。「あしからじ とてこそ人の わかれけめ なにか難波の 浦もすみうき」は出てこず、その思いがあるだろうことはあの不思議の占いの男が補完するのである。
「野に臥す者」
武家の長男・経之と、異母弟・定明、そして母と側仕えの女たちが暮らす家の庭が舞台。ある日、経之の側仕えの女・はぎ野が庭を渡って定明の許へ忍んで通うことがわかり、経之はそれを咎めるが女は意にも介さず、定明も剣呑な態度をとる。やがて二人は出奔し、南野の果て、野の臥所のような家に住まうとのうわさが流れてくる。彼らは村人たちの作物をとるなど盗人の所業を行ったので、慮外の仕打ちに怒った村人たちは、ついに野を焼くことにして…
このあたりまで読んで、ああ『伊勢物語』12段、武蔵野の話が下敷きにあるのかなと思われた。あれとの大きな違いは、放蕩無頼の定明が、兄の側仕えをさらうのではなく、女・はぎ野の方が定明を選んでいる点だ。そして、焼けゆく野の中で対峙した兄弟、ここでも女のしたたかな生き方が強調されていて面白い。
「舌を噛み切った女 またはすて姫」
タイトルを見てすて姫が自死する話なのかな?と思っていたが全く違った!
侍が山賊に成り下がったような山賊集団の中に、一人すて姫と呼ばれる女がいた。彼女は棟梁・袴野ノ麿の妻でありながら、集団に属する野伏の勝に心惹かれつつ暮らしている。ある日、袴野らと同じ山稼ぎの貝ノ馬介の集団が山中で旅装の貴族の姫(藤原良通の娘)らを襲うところに出くわし、すて姫は機転で彼女を救い都へ送り届ける。すて姫と貴族の姫の間に生まれる友情のようなものがかわいらしくてとても良い。ただし、すて姫の行動原理は貴族の姫が想像するものとはだいぶ違うのだけれど。結局男の集団の中に一人君臨するすて姫の存在に、貝ノ馬介は辛抱ならず袴野たちの留守居を狙って彼女を襲ってしまう。このあたり、絶妙に保たれていた山賊同士のパワーバランスを崩壊させる端緒として”女”の存在が強く働いていて、怖いけど面白い。
襲われたすて姫は馬介の舌を噛み切り、殺してしまう。しかしこの時のことで身ごもり、殺した男に孕まされた子であるのに、すて姫は子供を守る母としての行動をとっていくようになる。この心情の変化は山賊の男たちには全く理解不能なものであろう。すて姫が狭い山賊の世界から外界を知り、かつ女から母になり、遂に山を捨てて都へのぼってゆく姿は痛快だ。
全体の感想
岩波文庫の解説にもあったが、犀星の王朝小説はあくまでも古典やその時代に仮託して創作されたものであって、時代に忠実であることはそこまで重要視されていないようだ。そのため、翻案された『伊勢』や『大和』の物語は原典の持つどこか悲劇的な結末を犀星らしい筆致で新しい解釈のもとに描きだされていて、個人的には原典よりも好ましく思える結末が多かった。
この時代は芥川龍之介や菊池寛などといった他の作家も広く王朝ものを描いた時代でもある。他の作家たちの作品も読めば、もっと犀星の独自性、あるいは近代作家たちの着眼点の共通性にも気づきうるのかもしれない。そちらもいずれできたらいいなと思う。
Comments