top of page
執筆者の写真cocon

観能録〈船橋〉

更新日:7月17日


男が鬼になるとき

大学以来、ずっと鬼女の謡曲ばかりに着目していたが、2年前ほど前から”男が鬼になる謡曲”にも興味が湧いてきた。そこに描かれるのは、本性としての鬼-酒呑童子や紅葉狩のような鬼ーではなく、人間のが執念故に堕ちた姿としての”鬼”だ。謡曲の鬼といえば、般若面をかける鬼女が世間一般の”鬼”のイメージに近く、また物語も有名であり、多くの人に認知されている。対して、男が鬼になる謡曲には、角のある面をかける曲はないうえ、「鬼女」のように複数演目が一括りにされることはあまりない。しかしながら謡曲の詞章において、彼らは確かに「悪鬼」や「執念の鬼」と呼称され得る存在なのである。


この角を持たない鬼たちの中で、恋故に鬼となるのは《通小町》《綾鼓》《恋重荷》そして《船橋》のシテである。中でも、相手と相思相愛でありながら非業の死を遂げ鬼になってしまうのは、今回観た《船橋》のシテのみとなる。(他の曲は片思いを発端とした死が鬼となる起因になっている)


室町のロミジュリ

《船橋》は、佐野の船橋を詠んだ万葉和歌を典拠として、川に隔てられた2人の男女の悲恋を描いている。以下にあらすじを示すが、まるで室町のロミオとジュリエットとでも言えるような筋書きである。

※詞章の引用はすべて新日本古典文学大系謡曲百番による。


ワキは奥州平泉を目指す山伏一行。上野国佐野に行き着いたところ、橋建設の寄付を募る男女(シテ、ツレ)に出会う。「俗体の身」でありながら、橋の勧進を行う二人に感心する山伏だったが、対するシテは「必ず出家にあらねばとて、志の有るまじきにても候はず」と述べ、なかなかに弁の立つ様子。山伏は当然勧進して橋は通ろう、しかしこの橋はいつごろ渡された橋なのかと尋ねる。そこからシテとツレの二人語りが始まり、万葉集に詠まれた「東路の佐野の舟橋取り離し…」の歌に詠まれた船橋であることが明かされる。昔、このあたりに住んでいた男が、川を隔てて住む「忍び妻」のもとへ、船橋(船に板を渡しただけの簡易的な浮橋)を通って逢瀬をしていた。ところが、それに怒った「二親」によって、こっそり途中の橋板が外されてしまう。ある晩、通いなれた橋を渡ろうとした男は板が外されているのを知らず踏み外し、死んでしまったという。男女は死後、妄執と因果のために三途の川に閉じ込められて「心の鬼」となり変わってしまった。そしてこの物語の人物こそ実は私どもである、跡を弔ってくれと告げ、二人は立ち消えてしまう。

山伏が五障の罪を払う加持祈祷を始めると、男女(後シテ、ツレ)が再び現れて、罪障を払うために船橋に沈んだ過去と悪鬼と化した後の様子を再現する。そして、最後は行者の功力に惹かれてめでたく成仏となる。


「忍び妻」であることと「二親」による逢瀬への反対については、間狂言が補足する内容にかなり具体的に述べられている。二人がそれぞれ朝日長者、夕日長者という敵対する長者の子であり、幼いころから親しんでいたが、それぞれの両親が快く思わなかったためこのような顛末になったというものである。このあたりの補足があってこそ、家の対立によって引き裂かれたことが浮き彫りになるし、かなりロミジュリっぽさが強くなる。また、朝日長者夕日長者の伝説は各地にあるらしい(名前が同じだけで悲恋の話ではない)。しかしながら、謡曲の中にこれらの名称が全く述べられていないのがかえって気になる。別の流派や時代が違った場合では、もう少し違った筋書きの間狂言がありうるのかもしれない。


二人の死因について、現代人の感覚では両家対立の犠牲者とみえてしまうが、当時からすれば親の意向に従わぬ邪な恋。詞章にも「妄執といひ因果といひ、そのまま三途に沈み果てて、紅蓮大紅蓮の氷に閉じられて」とあるくらいであるから、妄執も因果も恋人たちの抱える罪なのである。当然、死に追いやった親たちへの恨み言などは詞章になっていない。ただただ、不本意な死と失った生への執着が、二人を橋勧進に歩ませているのだろう。その真意は、冒頭の上歌にある「二河の流れはありながら、科(とが)は十の道多し、まことの橋を渡さばや」という言葉に集約されているように思う。


浮かぶ船橋、沈む橋柱

船橋は文字通り舟を浮かべて板で渡した橋なので、支える柱や石のようなものはない。しかしながら本曲では、所々で「橋柱」という普通の橋を想像させる言葉が見える。どうも船橋を踏み外した男は、死後そのまま三途の川にある橋柱や盤石によって責め苦を受けているらしい。こうした表現が果たして謡曲特有の表現なのか、あるいは他にも三途の橋で受ける責め苦の事例があるのか?時間があれば、もう少し地獄や三途の川の資料をあたってみたいと思う。とはいえ、浮かんでいる船橋を踏み外した男が、船橋に無かったはずの橋柱や盤石の責め苦を受けて「沈む」というのはすごく示唆的である。

というのも、通常は水死と聞くと、死体が”浮かぶ”メージに直結するからだ。例えば《鵜飼》のシテも、私刑による水死をするが、柴漬(ふしづけ:罪人を簀巻きにし重石をして川に沈める刑)で死んだことがわざわざ語られる。これはシテが沈み果てて浮かべず居ることを強調し、後場の祈祷による成仏で浮かばれることとのコントラストを明確にしているのではないだろうか。《船橋》でも、三途の橋柱や盤石によって沈め続けられるのイメージを敢えて加えることで、同じ効果が設定されていると言えるのではないだろうか。


執心の鬼、悪龍、邪淫の悪鬼

曲のクライマックス近く、シテは自身らの堕獄のさまを「執心の鬼と成て、共に三途の河橋の、橋柱に立てられて、悪龍の気色に変はり、程なく生死娑婆の妄執、邪淫の悪鬼となって、我と身を責め苦患に沈む」などと語る。この場面、執心の鬼、悪龍、邪淫の悪鬼、と死後の姿を語る単語がどんどんと重ねられ、鬼になるのも楽じゃないと思えるほどの変身のオンパレードである。このあたり、「共に三途の河橋の、橋柱」になったはずのツレはすでに後場の登場シーンで成仏できる状態になっているので、演じて見せるのはシテ一人に集約されている。この場面ー特にツレの役割と効果についてはまだまだいろいろと考えたいこともあるが、とりあえずは記録までとしておく。残酷さと十悪の罪の成れの果てを一人で余すことなく想像させたシテは、最後はツレに遅れて「真如法身の玉橋の、浮かべる身」となりハッピーエンドとなる。


本曲の鬼をはじめとして、男の鬼たちは生きている人に害をなすことは少なく、地獄での苦しみと、受けてなお消えぬ執心に焦点が合っている。ここからは鬼女物との違いを感じ取れるほか、それらすべてをまとめて鬼という単語に集約してしまうことが出来る、中世における”鬼”の概念の懐の広さのようなものを感じ取ることができる(気がする)。なんにせよ、男女の隔てなく、鬼の能はやはり面白い!









閲覧数:150回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page