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執筆者の写真cocon

簡単に忘れる私たちに何ができるか(2)


以下、便宜上タイトルのみ今つけるが、前回の記事同様、その他の部分はやや文脈がおかしいところも当時のまま載せていこうと思う。ご理解いただければ幸いである。


 
想像力の必要性

学生ボランティアで大型バスに乗り込み、夜行で現地入りして瓦礫撤去をする。

体力と時間のある学生だからできることであり、意義はゼロではないと思いたい。

でも捨てるものへの申し訳なさはすごくあるし、意義なんて立場で全然変わってしまう。

「いいこと」や「美徳」なんてものとはめちゃくちゃ遠くに居る。


復興の希望のように少しずつ店がオープンし始めたころ、私たちもバスでスーパーの仮設店舗に立ち寄っておひるごはんを調達することが数回あった。

そうすると、何回か通ったころお店の人から引率の先生に、「地元の人たちの分がなくなるから買いに来ないでほしい」というお願いがあった。


こういう時に本当に浅慮を恥じて穴に入りたくなる。お金を回すことも助けになるという考えもまた、瓦礫撤去で感じたのと同じ危険をはらんでいたのだ。

スーパーには今後訪問が決まったら日時をお伝えし、多めに仕入れてもらうことにした。

同じように、インターそばの毎回寄るコンビニにも電話を入れることにした。


コンビニに電話をしたのは私だったが、快い対応をしてもらえて感謝しかない。スーパーよりももっと前から、コンビニには立ち寄っていたのだ。何も言わず、しかも私たち以外のバスも不定期にたくさん受け入れていたことを思うと、頭が上がらない。本当に想像力をもっともっと使わないといけないと感じる。


理想と現実の違いはいつも想像するよりも大きい。

本当に必要な行動を、だれも苦しめずに選ぶということは、こんなにも難しいのか。


「ボランティア」に何を想像するか

今日は就職活動が始まってから初めて、「東日本大震災後、あなたは何か具体的な行動をしましたか」と聞かれた。グループワークだったので、一人ずつ答えていったのだが、私ともう一人の男の子だけが現地に行っていて、他の3人はそれぞれ行っていないが募金した、防災について話し合ったなどと答えていた。


私はこんな質問をする企業に腹が立つ。これで何が分かるのだろう。

もしこの中に友人や家族を亡くした人がいたら一体どうするつもりだったのだろう。


「ボランティア」という言葉が独り歩きしている。

美徳に取るひともいれば、浅ましいと思う人もいるだろう。


友人の中にも、東北に行っていることを知ると、就活のために必死だね?みたいなことを言う子もいた。ナイーブになっている時期だし何もいわなかったけど、ため息がでる。


正直、今日まで就職活動の場で話したことはなかった。

だって、面接官がだれか亡くしていたらどうするんだよ。

ふるさとだったらどうするんだよ。

もし当事者なら、きっと感謝されるだろうって?

それよりも、そんなエピソードで点数稼ぎするやつの浅ましさを嘆くだろう。


どうか善意の押し売りにも、善意の塊にも見られたくない。

手を合わせて謝りながら、それでも捨てるし、現地のためと言いながら迷惑もかけてしまう。

でもそれを想像してくれとは言えない。私だって行くまで何にも知らなかったのだから。


本当に私たちは経験したことでしかものを理解できないんだって痛感する。

あれは遠く離れた北陸の企業だからこそできた質問だと、あの面接官たちはいつか、気づいてくれるだろうか。


想像、あるいは記憶をよすがにする

テレビとかメディアみたら“感動”とか“復興”って言葉があふれている。

まるでその通り感じることがきめられているように。でもやっぱり100人100通りの感性がある。

それを表す手段もばらばら。


仮設に住む人達と、夏祭りをすることになり、仮設の通路を牛乳パックの灯篭で飾ることになった。

カッターで窓を開けて絵柄を刻む人達の中で、ある女性がカタカナで名前ではない何かを彫った。

一見、地名のようなので、これはなに?と聞くと


「ここ(仮設のあるところ)から、ずっと下(海側)の方。私の家のあった場所。」


と答えてくれた。

そして刻む手を休めることなく、彼女は言った。


「今でも、我が家(のあったところ)は海の中。」


その場所は、震災による地形の変化で、海の底に沈んだようだ。

きづけば、他にも文字を刻む人がいた。

連綿と受け継いできたであろう自分の苗字や屋号に住んできた土地の名。

みんな真剣で、一心不乱で、それはまるで何かに祈るようだった。

私たち、楽しんでもらおうと灯籠づくりを提案したし、

子供も大人も、実際に笑いながら、楽しくやってくれてはいたと思う。

でも、よくよく考えれば燈籠は盆の迎え火だ。

祈りのように刻むのは自然なことなのかもしれない。


夜が更け、祭りが始まると、小さな盆踊りの輪が出来て、

それを挟むように、灯籠が灯された。


踊りの曲には、目の前に広がる、もう見慣れた美しい海と、

私の知らないその土地のかつての様子が謡いこまれている。

全然知らない土地で、知らなかった人たちと

見たことのない景色を想って踊っている不思議。


教えてもらって、私たちも踊った。

みんな笑っていた。大人も子供も、笑ってくれた。


なにが起きようと、時間がどれだけ過ぎようと、忘れられるはずがない。

ここでの生活は、全てあの日に起因している。

それでも、ほんの一瞬でも楽しくてしょうがなくて笑える時があってほしい。

そんな瞬間を作り出せていたならいいなと思う。


そしてこれを一過性でなく作り続けられるのか。私たちが?

でも第一歩であってほしいと願うのはおこがましいんだろうな。


完全に理解できないことを分かったうえで共感したい。

想像力はそのためにあるんだ、やすい同情や涙でない方法で

それをやり遂げたい。


 

前回の記事を書いたときとは違い、コロナウイルスの感染で騒がしくなっている。

あのとき踊っていた子供たちももう大学生くらいだろうか。

灯籠のおばあさんは元気にしているだろうか。


震災のときのように買い占めが起きて、やはりドラッグストアの人が苦しい思いをしているのもTwitterで流れてきた。みんな苦しい。

人間のせいじゃないときくらい、お互いの苦しさを分からないでもいいから、誰かのせいにはしない世界になれたらいいのに。


このシリーズは次で終わりにしようと思う。メモを手打ちしているので時間がかかるが

3月11日までには、書き終えたい。










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