(先行研究あたりきってないから新しいかの断定はできないが…)
《道成寺》という曲は視覚的な見せ場が多い。コミカルな間狂言や後シテと僧侶の戦いは言うまでもないが、特に、前シテの舞う”乱拍子”と”鐘入り”が大きな要素だと思う。
言わずもがな、能の《道成寺》は有名な”道成寺説話”の後日談であり、説話そのものの能ではない。
元となった説話は、『本朝法華験記』 の「紀伊国牟婁郡悪女」、『今昔物語集』 巻第一四、第三の「紀伊国道成寺僧写法花救蛇語」、『元亨釈書』巻十九・霊恠六の「安珍」など、多くの説話集に収録されている。いくつか類型があるが、凡そは下記の筋である。
一人暮らす女(寡婦)が仮に寄宿した若い旅僧に惚れ、妻にしてほしいと願う。思いを打ち明けられた旅僧はしかし女の執念を恐れた。旅僧は参詣の帰りに寄ると約束しておきながら、女のもとに立ち寄らずに逃げ去ってしまう。旅僧の裏切りに気付いた女は、男を追いかける。そのうちに(あるいは、自分の閨に籠って思い死にしてから)女の姿は恐ろしい大蛇へと変じる。旅僧は女から逃れるために道成寺の鐘に隠れるが、大蛇と化した女はその鐘にぐるぐると巻きつき、ついには火炎を以て鐘ごと僧を焼き尽くしてしまう、というものである。
この後日談たる能《道成寺》は、前述の恐ろしい出来事によって失われた道成寺の鐘がめでたく再建される日を舞台とする。
鐘の落成を祝う”鐘供養”の準備が進む中、美しい女白拍子が訪ねてくるのである。鐘供養のために舞を奉納したいという白拍子を、女人禁制を破って能力(アイ)が招き入れてしまうと、女は見事な舞を見せる。そして、舞ううちに「思へばこの鐘うらめしや」とつぶやいて、鐘楼に上がったばかりの鐘の中へ飛び込んでしまう。
”鐘入り”と呼ばれるこの演出について、これまでは鐘の中に飛び込み、舞台の上で後シテの装束へと変化して現われることの視覚的、舞台芸術的な面白さのために作られたものだと思ってきた。
しかし、鐘に入るという行為に着目してシテの心理を想像すると、実は心理劇としても非常に優れているのではと思えてきたのである。
女が鐘に執着した理由はたった一つ、それは自らと男の間を隔てたという一点のみであろう。女の執念は、長大な日高川さえ、蛇と化して渡りきってしまうほどのものだったのに、それを以てしても、道成寺の鐘は打ち破ることが出来なかった。すなわち、”鐘の内側”へ入り得なかったのである。鐘の外から焼きつくすことは出来ても、その中の、男のもとにこそ、本当にたどり着きたかったはずだ。
そう考えると、白拍子として「作りし罪も消えぬべし」と冒頭に唄うのは案外本心で、舞いながら近づいて見上げた時、かつて男を隠した鐘が、今はぽっかりと口を開けて自分の真上にある状態を見て、正体を無くしたとみることができるのではないか。
蛇になるほど狂った相手を隠した、あの時はたどり着けなかった”鐘の内側”がそこにある現実。「思へばこの鐘うらめしや」は、”鐘だけが元どおりになることへの恨めしさ”ではなく、”男との間を隔てられたあの時の恨めしさ”なのではないか。
飛び込めばそこは、あの時たどり着けなかった空間。男のそばに行きたくて、鐘の外からとぐろを巻いて抱きしめたところで触れられなくて、遂には焼き尽くしてしまったあの鐘の中。 でも当然、新しい鐘の中に男はいない。昔の恨みと虚しさが、ぽっかり鐘の暗闇に満ちて、次に出る時には、もはや怨念の大蛇とならざるを得ない。
このように考えてみると、舞台上での”鐘入り”が演出の面白さのためだけでなく、広く流布した道成寺説話の後日談としても、非常に無理のない構成であると感じられる。そうすると「思へばこの鐘うらめしや」の詞章に「撞かんとせしが」が掛かっているのも、案外「作りし罪も消えぬべし」こそシテの本願であり、供養にと舞ううちに過去へ心を囚われてゆき、最後に撞こうと鐘の内を見上げたことで、遂に激しく心情を変化させたことを象徴しているように思われる。
つまり”鐘入り”は特異な演出としてだけでなく、女を再び大蛇へと変貌させる心理要因としての役割をしっかりと持っているとみるべきなのではないか。シテは曲の冒頭から鐘の落成を妨げようという心持たず、鐘を拝もう見上げた瞬間、妄念にとらわれてしまったのである。鐘は撞くことでこそ煩悩を払うものなのだから、「撞かんとせしが」で撞けずに終わる女の煩悩は消えていない。詞章の通りに読めば決して曲解ではないはずだ。
「道成寺縁起成立についての一考察」(『中部大学国際関係学部紀要』4号、1988年)において伊東泰治氏は、女の変化する場面の違いから、道成寺説話を”川渡り型”と”籠り型”に分類している。この分類に準じて考えると能の《道成寺》は(ワキが語る話の内容から)”川渡り型”を採用していると言える。しかし、鐘の中での変化というのは、もしかすると閨に籠って思い死にして大蛇となる、”籠り型”からの接収もあるのかもしれない。
なにはともあれ、道成寺説話が成立し、さらにそこから能が生まれておよそ600年は経とうというのに、まだまだその内容理解には程遠いなと痛感した。でも、だからこそ能は面白い。演出と心理の問題については、もう少し時間をかけて考えていきたい。
とりあえず、Twitterでつぶやいただけだとあれなので、ダッシュでここに記しておく。
後日追記、またはちゃんとしたところに書くかも。
※2021年2月6日 謡曲百番の解説をちゃんとみたので追記しました。
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