2020年1月 石川県立能楽堂 観能の夕べ第1回の観能記録です。
「岩船」
演目としては初見。音阿弥の上演記録があるそうなので、室町期には成立。本日現在手元に詞章や成立関連の資料が全くないのだが、演能データベースでひいてみると「祝言岩船」と記録されている例が多いようだ。実際非常に祝言性の高い演目で、楽しく拝見。
以下、簡単にあらすじを。
能く治まる御代、勅使(ワキ)が住吉の浦で行われる浜の市で高麗など海の向こうの宝物を買い取ろうと出かけてくるのだが、そこで唐人の出で立ちで大和言葉を話す不思議な童子(前シテ)から宝珠をささげられる。童子の正体は、天津神が下る際に乗ったという天の岩船の漕ぎ手、天の探女(あめのさぐめ)であり、平和な御代を祝して龍神(後シテ)とともに岩船を漕ぎ寄せ、金銀財宝を積み上げる…というものである。
朗々としたワキ方の先生はもちろんいつもの如く素晴らしかったが、先日能楽協会所属となって紙面を飾った綿貫さんもワキツレで登場。彼もお声が良いのでありがたい。
シテも動きが機敏で好きな演者さん、良い回だなあと思っていたら、、、
アイ狂言の「鱗(うろくず)の精」が最高に面白かった。
アイ狂言の魅力
「鱗(うろくず)の精」(アイ)は、御代の祝いに我ら如きまでも海より陸へと上がることができた、勅使にお目にかかってお祝いを述べよう…というような趣旨を言い、舞を舞って見せる。
その舞がかわいいのなんの。ハマグリの精が出る「玉井」なんかも、このような感じなのだろうか。シンプルだが、ずっと見ていられる舞だった。アイの存在も、岩船登場の奇特のひとつとして描かれているのが興味深い。すなわち、精霊として力の弱そうな鱗の精すらも、めでたい今日は体を得て陸に上がり、舞を舞うことができる―それもこの御代が神々に祝福されている所以である。舞を勅使のお目にかけた「鱗の精」は満足して海へと帰ってゆく。
岩船の役割
深く考えずに見に行ったものの、以前ブログで書いた「船」が登場する曲なので、後場は岩船について考えていた。
この演目の中で、「天も納受」し「宝を君に捧げ申さん」がため、遣わされるのが漕ぎ手の天探女だが、岩船は「雲の波」を進み来る「高麗唐土の宝の御舟」だと述べている。
天が下される宝物が、「高麗唐土の宝」という部分に、古来の人にとって海の向こうは半ば仙界のごときものだったことが想像できる。もちろん、それも織り込み済みで、日明貿易を讃えるのがこの曲の主旨であり、岩船の役割だろう。前シテが唐人の童子でありながら大和言葉を話す不思議も、なんとなく他の曲とは違う”不思議”の設定の仕方で面白い。
また、現われた岩船を守護するのは「下界に住んで。神を敬い君を守る。秋津嶋根の。龍神」であるところにも、一大政策である貿易を行う場所(浜の市)、そして取り交わされる異国との取引、それらを地神も歓迎しているという権威づけが感じられるし、海の神は国津神であるという認識も考えさせられるものがあった。
最後に、仏法の神である八大龍王が集い、浜へと船を手繰り寄せる場面は、もはや細かいことはどうでもよく、とにかくめでたい!貿易最高!宝は御代にあふれる!万歳!という感じがして非常に良い。古式の龍王に探女が付き従って出る演出も見てみたいと感じた。
「能楽図絵二百五十番 岩船」 月岡耕漁
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