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執筆者の写真cocon

「舟」について思うこと


最近、「舟」というものへの興味が増してきた。自らが舟に乗ることではない。

「舟」とは何で、「舟に乗る」ものは何を意味するかというところに対してだ。

舟に乗り来たるもの

島国である日本は、水上交通なくしては成立し得なかったと言える。思えばこの国の宗教も文化も富も、かなりのウェイトが水面の彼方から「舟」に乗って現れたものなのだ。


大陸から多くの舶来品や知恵を運んだのも、遣隋使や遣唐使、そして交易船の存在であったことにを考えれば、七福神が雲や輿に乗らず船に乗って描かれるのも当然のことに思えてくる。

しかし、「舟」はその性質上、二度と戻れぬ可能性も持った存在であったことも忘れてはなるまい。

今日でも船舶の遭難がなくならぬことを思えば、今よりはるかに頼りない舟で、大陸と日本の間を移動するそれが安全を保障された旅であったはずがない。

かつて安倍仲麻呂が、遣唐使として唐にわたり、ついに日本へ帰ることができなかったことも

当時の船旅の過酷さを物語っている。

それでも人は智識や富を求めて舟を漕ぎ出だした。そして、大陸の人もまた、海の向こうの

小さな島国に対し、何かを与え、あるいは求めるために船で渡ってきたのである。

当然、舟には災いも多く乗ってきた。

大陸側の国と日本は、交易の傍らどちらともなく争ってきた歴史がある。元寇、朝鮮出兵、日清戦争…舟に乗った災いに苛まれたのは決して日本だけではない。現在も漂流船が絶えず日本海側にたどりつくことも、当時と変わらぬ海流がなし得る悪戯なのだ。

「舟」とは、禍福それぞれをいまも運んでいる。


舟に押し込められたもの

「舟」は攻め来る厄災を乗せるだけではなく、手元にある厄災を振り払う役割も持っていた。神話の中で不具に生まれついた蛭子神は舟で流され、源頼政に退治された鵺の死骸もうつお舟に乗せられて川を下る。時代は下るが流し雛の文化にも、舟に厄災を乗せて遠ざける風習が現れている。前述のとおり、二度と戻れぬ可能性を持った存在であることが、私たちの文化における「舟」の特徴なのである。

「舟」にまつわる歴史や伝説は枚挙にいとまがないが、この文の中でそうしたいきさつをつぶさに追うことはできない。ただ、「舟」をひとつの指標として私たちの文化を鑑みたとき、まずもってこの孤独な島国そのものが、世界の中では一艘の小舟のような存在にも思えてきてしまう。

どこからきて、どこへ向かうのかもわからない。それが禍福のいずれを乗せたものなのかすらも。


宇宙を帆走る舟

時代は下って、近代に入ってくると、「舟」は大海原へ向かうだけの存在ではなくなる。

宇宙開発の時代が来ると、私たちは宇宙にまでも、「舟」で漕ぎ出すことになった。

日本語では、私たちが宇宙に行くための乗り物も、なにがしかが宇宙からやってくる乗り物も等しく「宇宙船」という単語で表されることが多い。

英語の「suttle」には「往復する定期便」という意味が含まれているから、じつは日本語と

ニュアンスにかなり違いがある。「宇宙船」ということばがいつどのタイミングで生み出されたのかは知る由もないが、(あるいは新聞記事などを紐解けばわかるのかもしれないが)

いずれにせよ私たちは、宇宙に対しても水面と同じ果てのなさを感じたのではないか。

宇宙と舟の関わりといえば、すぐに柿本人麻呂のこの歌が思い出される。

「天の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」

どうだろう、千数百年の昔にも、私たちは空のはてなさに海を見、

そしてそこに一艘の舟を浮かべていたのだ。

不定形の、捉えどころのない空間を漂う乗り物としての「舟」。

それは此処を旅立ち、また何処かへ辿り着き、厄災を押し流し、いつの日にか富を得て還る。

あてどもない期待の通り還るもの、失われるもの。

また私たちは「舟」の姿になにかを期待し続けるに違いない。

それは祈りのようであり、どこか呪いのようでもあると私は思う。





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