2018年1月 金沢能楽会定例能の観能記録です。
《翁》
シテは宝生宗家。いつもながらなんて朗々とした声が出るんだと感嘆。
演じる前後に客席側に向かい手をついて礼をするのだが、それが直面の状態であることから、能楽師が面をつけるという行為の重さを感じた。
「翁」自体については、どれだけの人が研究しても謎なので私のようなアウトローが言えることはあるはずもないが、水と齢の「尽きぬ」ことで繁栄を予祝するのがこのカミサマの役目なのだと感じた。水と齢というと全く性格は違うけど「檜垣」もその二つがバックボーンにある曲だといえよう。いつか論じて見たい。
さて、翁の次に登場するのは三番叟である。
「おさへおさへおう。よろこびありや。わがこのところよりもほかへはやらじとぞ思ふ」
上記は三番叟の「揉の段」の詞章。
「幸いをこの場から外へやるまい」というこの詞章のほかは言葉少なで、動きが主題なのは自明であるこの段だが、やすやすと外に出て行く何か(幸い)をこの場に留める為の動き。大山祇神社の一人角力にも近い気がする。あれは神、これは概念を相手に人が格闘しているように思えてくる。
最後の「鈴の段」では、直前のやりとりの後面箱持ちが元の場所に収まるかと思いきや退場したから驚いた。鈴を振るさまは、場を清めるようでいて何かを撒いているように見えた。「揉の段」で幸いを留め、それを地に根付かせているともとれる。「揉の段」と「鈴の段」は、全く性格が違うとする研究もあるがどうだろうか。
《末広かり》
傘を囃し立てる文句に興味。傘は神様との関わりが強い道具である。祇園祭で出る傘鉾は勿論、中世河川を行き来していた、シャーマニズムと分化しきらない頃のあそび(遊女)たちもまた大きな傘をさして舟遊びをしていた。また、大分県佐伯市周辺には、盆に傘を立て故人を弔う地域もあるらしい。
(「盆の傘鉾1 : 依代としての傘」段上達雄氏論文、別府大学機関リポジトリにて拝読)
だから、「末広かり」における春日山の神が感応する詞章(下記)も、春日山の後ろに三笠山があることからくる、単純な言葉遊びとは侮れないだろう。
「かさをさすなる春日山 かさをさすなる春日山 これも神の誓いとて 人がかさをさすなら
我もかさをさそうよ。 げにもさあり、 やようがりもそうよの」
《船弁慶》
前シテと後シテが全く別の人物という点では、能の中でもかなり特異な曲である。
後シテが鬼や怨霊の曲も、後シテは前シテの正体であることがほとんど。そう考えると義経を愛する静御前から恨み取り殺そうとする知盛にメンタルチェンジしなければならないので、能楽師さん的にやりづらいのか、そうでもないのかが気になるところ。これについては義経が子方である意味が非常にわかりやすかった。船に乗る際、全員が大人では観客側から弁慶の姿が隠れてしまうだろうし、知盛の亡霊の恐ろしさも半減してしまうだろう。
また、曲名が「船弁慶」である理由も気になるが、全編通して今回の船旅を進めるために行動しているのは実は弁慶一人であり、かつまた知盛は義経と刃を交えはするものの、最終的に弁慶の祈祷に退散したことを思えば、こう名付けられたことも何ら不自然ではないのかもしれないと思えた。
文化デジタルライブラリー所収:能舞図「船弁慶」
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